12月18日に開催される「M―1グランプリ2022」の決勝の審査員でお笑いタレントの山田邦子さんが選ばれたことが話題となっています。
今年で18回目となるM-1グランプリで長い歴史の中で審査員を務めた女性は上沼恵美子さんの一人だけです。
山田邦子さんは史上2人目の女性審査員となるわけですが、今回は、山田邦子さんの若い頃いかにテレビで活躍されていたのかやM-1の審査員になぜ選ばれたのか調べてみました。
素人参加番組に出場し無双していた‼
高校1年生からとんねるずと活躍⁉

高校1年時に西城秀樹さんのモノマネで「TVジョッキー」や「クイズ・ドレミファドン!」や「ひるのプレゼント」に出演されたり「タモリの突撃ナマ放送では」5週勝ち抜きするなど、数多くの素人参加番組に出演されていました。
素人さんの参加番組の常連でとんねるずと一緒に活躍をされていました。
素人時代はとんねるずと共に素人参加番組の常連として有名な存在だった
山田邦子 – Wikipedia
ギャグでぶりっ子を流行させた‼
中学生の時に作ったバスガイドのネタで1981年には「ぶりっ子」で流行語になってしまいます。
「右手をご覧ください。いちばん高いのが中指でございます」 というギャグで知られる“バスガイド”のネタだ。なんでも、このネタは中学以来の持ちネタだそうで、このネタをぶら下げて『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ系)の人気コーナーだった『お笑い君こそスターだ!』に出場し、見事チャンピオンとなっている。81年の流行語『ぶりっ子』は山田がバスガイドネタの中で口にするギャグ「ぶり、ぶり、ぶりっ子」が元になっているという。
山田邦子 – Wikipedia
売れっ子過ぎてレギュラー本数が週16本で月収は億単位‼
週に14本のレギュラーで隔週を入れると16本のレギュラー番組を抱えていたほどの売れっ子タレントでした。
常に多忙であり、テレビ局には、山田邦子さん専門の仮眠室が設けれてるほどで、仕事によるストレスで円形脱毛症に悩み坊主頭になったようです。
つねに多忙だったため、テレビ各局には山田専門の仮眠室が設けられたほどだ。85年には、ストレスからの円形脱毛症に悩み、坊主頭になって世間をアッと驚かせた。
【バラエティ黄金時代】ヒットメーカー生産工場だった山田邦子の『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』 (2015年7月30日) – エキサイトニュース (excite.co.jp)
最高月収について聞かれると「デパートの大きな袋に入って。1億円でこのくらい」と、手ぶりを交え説明。そのまま銀行に行くか、そこから少し取って後輩と飲んだりしていたという。昭和らしい猛烈な働き方や月収の話など、大物感あふれるエピソードを見ると、レジェンド枠の審査員として十分ふさわしいのかもしれない。
冠番組の『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』は最高視聴率20.4%を獲得する人気番組に。昨年6月のインタビューでは、忙しさのピーク時は週に14本、隔週のものを入れると16本もレギュラー番組を抱えていたと話していました。寝る間を惜しんで働き、視界が白くなって『あ、気絶する』という体験もしたそうです」(テレビ情報誌の編集者)
「山田邦子」M-1審査員抜擢に若者から“誰?”の声 それでも業界人が期待する「全盛期のすさまじさ」〈dot.〉(AERA dot.) – Yahoo!ニュース
テレビ番組でCDデビュー 卒業式の定番ソングに‼

邦ちゃんのやまだかつてないテレビから生まれた当時人気の女性デュオWinkのパロディ「やまだかつてないWink」でのシングル『さよならだけどさよならじゃない』が大ヒットします。
CD全盛期といわれた時代にオリコンの週間ランキングで2位を記録します。
また1991年の卒業ソングの定番曲にもなります。
1990年7月に「“T”intersection」で実際の歌手デビューを果たし、1991年2月発売の「さよならだけどさよならじゃない」は卒業ソングとしてヒット、定番曲になる。
やまだかつてないWink – Wikipedia
好きなタレントランキング8年連続1位
1988年から1995年までNHK調査の好きなタレントで8年連続1位を記録します。
明石家さんまさんは6年連続1位を記録していますので、当時の山田邦子さんの人気が凄かったことが伺えます。
「NHKの『好きなタレント』調査でも1988年から8年連続で好感度タレント1位を獲得していましたが、90年代半ばから仕事が減少しテレビから姿を消してしまいます。
「山田邦子」M-1審査員抜擢に若者から“誰?”の声 それでも業界人が期待する「全盛期のすさまじさ」〈dot.〉(AERA dot.) – Yahoo!ニュース
小説家として40万部売れた実績も‼
1990年には小説家としてデビューします。
1991年に出版した『結婚式』は発行部数40万部を超えるベストセラーとなり、文芸ランキング年間1位にもなっています。
1990年には『あっかんベーゼ』(太田出版、文庫版:角川文庫)で小説家としてデビュー。1991年に出版した2作目の『結婚式』(太田出版、文庫版:幻冬舎文庫)は発行部数40万部を超えるベストセラーとなった[23]。その後も、「恋愛」「結婚」「女性」などを主題とした小説を多数出版している。
山田邦子 – Wikipedia
〇山田邦子さん小説作品
・1990年「あっかんベーゼ」(太田出版)※のち角川文庫
・1991年「結婚式」(太田出版)※のち幻冬舎文庫
・1992年「せみダブル」(太田出版)※のち幻冬舎文庫
・1993年「一家ランラン」(太田出版)※のち幻冬舎文庫
・1994年「同窓会」(太田出版)※のち幻冬舎文庫
・1995年「結婚物語」(太田出版)※のち幻冬舎文庫
・1996年「好き嫌い」(太田出版)※のち幻冬舎文庫
・1997年「ヘアメイク神井結の芸能界ミステリー案内」(太田出版)
・1998年「フェイス」(太田出版)
・1999年「レシート」(太田出版)
・1999年「成田空港物語」(太田出版)
・2000年「マリッジ・ブルー」(太田出版)
・2001年「オバサン・レディ」(太田出版)
山田邦子の日があった⁉
2015年9月25日には山田邦子の日に認定されています。
自身の9(く)・2(に)・5(こ)から邦子と読む語呂合わせとなっています。
9(く)・2(に)・5(こ)=「邦子」と読む語呂合わせから、2015年9月25日、一般社団法人日本記念日協会は9月25日を「山田邦子の日」と認定した
山田邦子 – Wikipedia
山田邦子さんがM-1の審査員に選ばれた理由は?
山田邦子さんがM-1の審査員に選ばれた理由は圧倒的な実績ではないでしょうか。
女性芸人史上最強のモンスターや「唯一天下を取った女芸人」とも言われています。
女芸人の質・量ともにかつてないほど充実している現在でも、全盛期の彼女の実績を超えられそうな人材は見当たらない。女芸人史上最強のモンスター、それが山田邦子である。彼女はその圧倒的な実績から「唯一天下を取った女芸人」と言われている。
山田邦子「女芸人の未来開いた」偉大すぎる功績 | テレビ | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)
面白いだけでなく、役者や小説家の一面もあり、プロデューサー的な視点も持ち合わせているため、M-1の審査員としても適正な評価できると判断されて選ばれたのではないでしょうか。
「勇退した上沼さんに代わる存在として、ある程度の実績と知名度がある女性芸人ということで考えると、邦子さんはまさに適任でしょう。彼女は芸人として一世を風靡しただけでなく、小説やエッセーを書いたり、作詞家でもあります。多くのミュージシャンやタレントと交流を深め、一緒に仕事をしているのでプロデューサー的な目線も持っています。だからこそ、M-1の審査員としても出場する芸人の才能を見抜き、適切な評価を下すことができるのではないでしょうか」
「山田邦子」M-1審査員抜擢に若者から“誰?”の声 それでも業界人が期待する「全盛期のすさまじさ」〈dot.〉(AERA dot.) – Yahoo!ニュース
まとめ
山田邦子さんの若い頃がいかに幅広く活躍され、人気があったのか分かりました。
また実績だけでなくM-1の審査員に選ばれた理由も山田邦子さん納得できるのではないでしょうか。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。